EmiraL’s blog

えみらるのブログ

恥ずかしながら「自分がない」人のお話をさせてください。♯1

「自分がない」

自分がない、あるいはわからない人がツイッターにはそこそこいるようです。アイデンティティーがない。もっと正確に言えば、それが達成されない。これ、中高生とか若者に限った話じゃないんですよね。ダメな人はずっとダメなままだったりするんです。本当は私みたいな人間が自分語りなんてすべきではないけど、これからいくつかに分けて書いていこうと思います。正直生きるのが限界なので。伸びなかったら静かに息を引き取ります。

 

私は小さい頃から親の言いなりでした。今思えば典型的な毒親だったんですけどね。親の言う通りにできて当たり前、そういう家庭でした。否定すれば叩かれるし、可能性や色々な道が示されることはまずなかった。幼い頃に自分をどこかに置いてきてしまい、したくないことを嫌々ながらもやってきた結果が今の私です。好きなものがわからないから嫌いなものをただただ否定するだけ。目の前の楽しいことにしか手をつけられない。きつく言われるのがトラウマになり、気づけば義務的に何かをすることもできない体になっていました。そのまま受験に失敗、昨年5月にうつ病と診断されました。後期で通ったFラン大にまともに通えていません。ここまで書いて思われるだろうことは、「浪人すればよかったのでは?」「やりたいことだけやってればいい」「何か新しいことをすれば?」......次からそのことについて書いていきます。

 

私は努力できない人でした。

昔から継続して何か行うことが苦手でした。だからタスクは一気に消化する人です。計画性がないとか言われがちなタイプですね。小学校の頃から何事も初日に終わらせるのが常でした。夏休みの宿題とかね。中高の定期テストは1日で処理するのが不可能な量ですから、徐々にダメになっていきました。受験なんてそれこそ日々の積み重ねじゃないですか。わかりきった結果でしたよ。継続は力なり、って言いますけど、その継続ができたら皆仲良く合格してますよね。私にとって浪人は到底できたもんじゃないと思いました。

 

やりたいことがない。新しいことを始められない。厳密に言えば、「どうせうまくいかないと思ってしまっている」。できないことを指摘されるのは当たり前と言いますが、最近思うのは「できなくて当たり前」という視点が大事だということ。そして「できていないという指摘」と「できていないのを認めない」には大きな違いがあるということです。(これについてはまた後日書きます)

 

ここまで書いて「嫌でもやれ」って言う方がいると思います。否定はしません。でも、大学の費用を工面するために去年3月に遠方に転職して、8月半ばに数日前まで母と普通に電話していたのに突然3月からの記憶を一切失って家に帰ってきた父を見て、「嫌でも頑張れ」なんて口が裂けても言えません。私もそんな思いはしたくないし、そこまでさせる社会に出ようと思わない。

 

 

今日は基本ステータスについて書いたくらいですが、引き続き色んな方に読んで知ってもらえると幸いです。こんな奴がいるぞって面白半分で晒してもらって結構です。正直どんな形でもいいから多くの人に伝わって欲しいし無限に自分でRTします。日本語書くくらいしか私にはできないし、私が持っているのはフォロワーくらいなので。